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執筆者の写真Frontier Valuation

「SDG’sは綺麗事」とは言えない持続可能性の危機

更新日:2024年12月16日

「持続可能性」はキーワード

SDG'sが大好きと言われる日本。

確かに街を歩けば17色のバッジを襟につけている人をたくさん見かける。


しかし、本当の意味が分かっている人がどれだけいるのか分からないとも言われる。

また、こうした活動が始まると反対を唱える人も必ず現れる。


とはいえ、"持続可能"か否かが大きなカギを握るというのは確かだと思う。


今でこそ供給懸念が増大しているが

最近は、いろいろなものの値段が上がり、今まで値下がり傾向が続いていた米も品不足、値上がりに転じ、継続的に供給されるか、あるいは購買し続けられるか意識するようになった。


ただ、見えないところではかなり前から持続的な供給への懸念があった。


代表的なものは原油で、1980年代に2010年頃には埋蔵量分を掘り尽くしてしまうと言われていた。

原油の場合は「当時埋蔵が確認されている分を」2010年頃に掘り尽くしてしまうという前提があり、その後も新たな油田が発見されたため、原油は枯渇せず、未だ化石燃料で走る車が巷にあふれている。


ところが、それ以外の金属となるとかなりタイトである。銅の盗難が増えているのは銅の需要量に対して生産量が追い付いていないのが原因の一つであるが、鉱山開発は思うように進んでいないという。亜鉛なども同様で、産出量が増えていない。 こうした現象は日経新聞をよく読めば分かったのであるが、一般の人が見るようなマスメディアでは大きく取り上げられることはなかった。SDG’sが持て囃されて始めたころも、原材料や食料の持続可能性への注目度は低かった。

靄に煙る物流施設の写真
持続可能性は靄の中...(イメージ)

過剰な競争も負の要因

過剰な価格競争も負の要因である。COVID19で俄かにサプライチェーンの崩壊が言われるようになった。しかし、脅威がさほどでもなくなった今でもサプライチェーンの混乱は続いている。 原因は一つではないと思われるが、全世界的な製造業の疲弊を指摘する声もある。 グローバル化した製造業が影響力の大きさを武器に無理な価格競争に走った結果、持続ができなくなったという理屈である。エヴィデンスは今一つ弱いのだが、確かに消費者や流通の側の力が強すぎて、生産者すべてが赤字という業界もあり、そうした業界では生産者の退出で供給量が減っているのは事実である。 ビジネスで物を作る以上は収益が上がらなければ生産意欲につながらず、衰退するのである。 持続可能なサプライチェーンを構築するには、適切な利潤の分配も必要になってくるが、世界的に少数に富が偏っている現状では、持続可能性を担保するのは難しいかもしれない。 SDG’sは決して綺麗ごとではないのだが、特に米国の次期政権はその真逆を行きそうである。芋を植える畑を用意しておいた方がいいと思うが、最近は野生動物が元気で人間の口に届く前に彼らの空腹の足しになり、駆除すれば反倫理的と非難される。 持続可能性を確保することは必要ではあるが、至難であり、複雑である。

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