• Hideyasu Matsuura

気安く言えなくなってきたSDG's? ~ SDG'sウォッシュの罠

更新日:5月18日

 3~4年前は一部の人しか使っていなかった"SDG's"。今や、社会に多大な影響を与える存在になってきました。


 3歳になる息子が「エスディージーズ サシュテュナグル ディ`*+#@.. ゴー 」等と歌っているから何かと思えば、NHKのEテレで、東京オリンピックのキャンペーンソング「パプリカ」を放送していた後枠でPRが始まったのとのこと。昨年末には”SDG's推進のため年賀状は取りやめる”といったハガキが数社から届いていたり、買い物をすればプラスチックなど樹脂系のものがサービスでもらえなくなることが増えたり、社会活動をしていてもSDG'sを意識せざるを得なくなってきました。


 最初の頃はSDG'sと言われても具体的にどんなことなのかピンと来なかったのですが、自分なりには人類の経済活動が地球環境に深刻な影響を与えたり、開発途上国に住む人の人権を踏みにじるような行為は故意には行って行けないことはもちろんのこと、知らず知らずにこうした行為に荷担することもやめていこうということではないかと認識しています。


 このようにSDG'sを皆使うようになると、当然営業上の戦略として、自社の売り上げを伸ばすためあるいは経費削減のために使おうとする企業がでてくるのが自然の流れです。

 

 SDG'sと親和性の高いESGも大きな影響力を持っていますが、投資マネーを呼び込むことでESG投資やSDG'sを推進しようとする目論見がEU主導で進んでいて、欧州グリーンディールという政策を実現するための具体的施策であるEUタクソノミーの作成が進んでいます。


 EUタクソノミーの中でも今後大きな影響力を持つとみられるのが、SDG'sウオッシュの排除です。


 ウオッシュ(Wash)という言葉は、洗濯や洗い物を連想させると思いますが、物理的にモノを洗うという意味の他に、宗教的・道徳的な意味で「洗い清める」「ぬぐい去る」という意味でも使われたりします。それを否定的に当てはめると「ごまかす」「人の目を欺く」という意味にも転化します。この場合のウオッシュとはまさに否定的な「Wash」で、やっているふりをする、目を欺くといった意味で使われています。投資マネーを呼び込むという目論見からすれば、こうしたことは本来の目的を没却してしまうので排除したいのは当然のことでしょう。しかし、SNSで情報が瞬時に伝わり、マスメディアも正義を主張できるネタを渇望している中では、企業や個人にとって大きなリスクになる可能性が高まっているのではないかと思います。


 例えば再生可能エネルギーにしても太陽光発電ではCO2を排出しないというメリットがある反面、設置場所によっては自然破壊や災害を引き起こすリスクもあります。バイオマス発電でも輸入資源に頼って海外に住む人の生活を圧迫するなどの問題が起きています。こうしたことから、CO2の排出といったワンイッシューに偏るのではなく、トータルに環境や人類社会に良い影響を与えることを考えないと、足元をすくわれるといったことになってきました。この数年の間にモヤモヤだったSDG'sが複雑な問題になってきたという印象を受けます。


 懸念されるのはSDG'sウオッシュに対する監視の目が一層厳しくなり、さらには過激な方向に進むことです。

 「歌を歌えばSDG'sなどと言うのはおかしいのではないか」「年賀状をやめることがどう環境に良いのかエヴィデンスを示せ」といった論調が大手を振ると厄介な方向に進んでしまいかねません。おかしな方向に行かないように声を上げると言うことも大切でしょうし、逆に安易に売上に繋げようだとかコストカットの理由にしようといったことも謹むべきではないかと思います。


 杞憂に終わればいいのですが、皆様は如何お考えでしょうか?


閲覧数:13回

最新記事

すべて表示