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Hideyasu Matsuura

走れ強右衛門

先日、名古屋市の郊外に出掛ける用事がありました。

新幹線で行くことが多いのですが、目的地が名古屋中心部からだいぶ遠く、東名高速に近い場所でしたので、車を運転していくことになりました。


静岡市市街地からですと、東名高速の方がアクセスは良いのですが、少し長めの運転になることや、制限速度が緩いということで新東名で豊田ジャンクションまで行き、そこから名古屋までは東名で行くことにしました。

ご存じの通り、静岡県内の新東名は片側三車線で、最高速度120km/h規制と贅沢な作りになっていますが、道路公団改革の後に設計施工に入った愛知県内の区間は暫定片側二車線で、最高速度100km/h規制になっています。それでもカーブやアップダウンが少なく、東名の旧道よりは快適な道路になっています。


新東名は東名の旧道よりも北側を走っていますが、愛知県内では新城市から岡崎市北部、そして豊田市の北部を走り、その先は伊勢湾岸自動車道になります。

東から愛知県に入ると、長篠設楽原サービスエリアがありますが、ちょうどその辺りが、織田・徳川連合軍が、戦国最強と言われた武田軍を相手に戦った、歴史上も名高い「長篠の戦い」の舞台ともなったところです。


6月4日の夜に放映されたNHK大河ドラマ「どうする家康」では、鳥居強右衛門(とりい すねえもん)と言う人物が描かれていました。

長篠の戦い直前、武田勝頼の軍勢に囲まれた長篠城から、援軍を乞うため岡崎の織田信長・徳川連合軍の元へ走り、長篠城に帰った際に武田側に捕まり「見方は来る」と叫んで磔にされ命を落としたとされる人物です。


長篠から岡崎まで、アップダウンも少なく、まっすぐに伸びる新東名を100km/hで走っても「結構長いな」と感じるほど。まともな道路もない時代に強右衛門はこの距離を往復し、途中にある川を4kmも泳いだというのですから、相当なツワモノです。

日本の歴史に少なからず影響を与えたことは間違いなく、実感を伴いながら感銘を受けました。


現在は長篠の戦いから約450年後になるのですが、今から450年後はどうなっているのでしょうか。現在最新鋭の道路も古道として捨てられてしまうのか、今からは想像も出来ないような車が疾走しているのか、人類がいなくなっていたりするのか。考えるとロマンでもあり、恐ろしくもある未来です。 鳥居強右衛門は地元三河地方では豪傑として伝承されているそうです。450年もの間語り継がれるということは時代を超えて人々の胸を打つ非凡さがあったということでしょう。

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