市場に出ているものは氷山の一角に過ぎない

先日、ある自治体から空き家対策についての相談があったとのことで、現地の視察に参加かせてもらう機会があった。

空き家は多い


相談が持ちかけられるくらいだから、当然空き家は多い。 視察先でも、自治体の担当者が住宅地図にマーキングした資料を用意して下さっていたが、2割程度は端から見ても分かるくらいの空き家だった。



空き家は使っていない家であるが誰でも使えるわけではない


「空き家があることは空間資源があるということだ!」と言われる。確かに使っていない家は使っていないスペースを持っているということであり、活用しうる資源であることには間違いない。 ところが、自由主義国家では所有権というものが認められているから、所有者がウンといわない限り売ることはできないし、使うこともできない。



所有者が使わない+売らない・貸さない=活用できない


つまりは、処分する権限、使用する権限のある人が放置すれば使うことができないということになる。

先の視察の例だが、空き家として20件近くの物件を見た回ったのだが、後で調べて見たところ、不動産業者が売買、賃貸物件として情報を出していたり、自治体の空き家バンクに登録されていたのは賃貸店舗の1件だけだった。

空き家は多数あるが、市場に出て売買や賃貸の対象になるのはその中でも僅かということになる。


空き家が多い割には市場に物件がない現実


こんな状況であるから、探している方の立場から見ると「空き家がいっぱいあるのに物件が全然出ていない」という現象になっている。

原因はいろいろあるだろう。「自分の家が売物件として広告に出されるのが恥ずかしい」「売れる・貸せる物件にするために費用がかかる」「残置物がある」「頻度は低いが使う用事がある」「どうせ買い叩かれる」「信頼できる不動産屋がいない」などなどである。



評価における市場価値は市場に出ているものの価値


ここで、評価における価値のことも少し差し挟んでみると、市場価値は「売手・買手が共に自由意志によって市場に参加していること」が前提になっている。 即ち、市場に参加していない人の持っている物件はそもそも市場の範疇にはないということである。これだけ使われない不動産があふれかえっていても住宅の値崩れが起こらないのは、空き家が市場に供給されていないからということで筋が通る。 何らかの形で市場に供給せざるを得なくなるとすれば、値下がりに繋がる可能性もあるだろう。現実に地方で欲しい人といらない人のバランスが崩れた地域などでは、価格形成どころか売買すら成立しない。

市場に出ているものは空き家全体からすれば氷山の一角に過ぎないということであり、その狭い世界の中で価値・価格が形成されているともいえる。地域的なミスマッチが広がり、借手・買手の減少も相俟ってその範囲はどんどん狭くなっていく。



とはいえ死蔵しているスペースを市場に出すことは考えるべき


市場の需給という観点で考えれば確かに、市場に多数の物件が出てくれば、個々の物件の価値は薄れ価格も下落する。しかしながら、建物は多額のコスト、さらには近年強くなって来た考え方を採り入れれば多大な環境負荷の元に建てられたものであり、容易に廃棄すべきものではない。 空間を社会全体で効率よく使うために何をすべきか、マーケティングの観点からももう一度問い直してみる必要もあるだろう。 単に、不動産マーケットの敷居の高さが原因なのか、それとも"思いの成仏"ができないことが原因なのか。答えはどれかひとつに落ち着くわけではないが、そこから向き合っていかないと空き家問題は解決しないだろう。

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