新年2通目の投稿になってしまいましたが、この度の能登半島地震で被災された方にお見舞い申し上げます。 よりによって元日早々に地震が起きなくても...。と思うのですが、天才はいつ来るかわかりません。大地震ではないのですが以前、私も被害の出るような地震を経験しました。その時はちょうど台風が来ているところで、事務所の様子を見に走ろうかと思ったのですが、外は風雨が強くて出られなかったのを思い出します。台風が来ているから地震は来ない。元日だから地震は来ない。といったことは決してないことを意識しておかなくてはなりません。 元日の能登半島地震はちょうど夕暮れ前の時間帯に起こったため、ニュースでは大津波警報や輪島市の朝市通りが激しく燃え上がる中継映像が流れ、どのような被害が起こっているのかわからず、不気味な夜になりました。 こういう時はTwitter(現X)が頼りになるものです。東日本大震災の時はテレビ中継で見たことをTweetしていたら、後日、岩手県にする知り合いから「テレビが見られない中で投稿してくれたので世の中で何が起きていたのか分かって助かった」と言われてこちらが驚きました。 今回も救助を求める投稿がたくさん流れてきたのですが、見ているうちに「何となく変だ」と感じるものがありました。そこで、投稿されている住所をGoogleマップにコピペして調べてみたところ、町名が違っていたり該当する地番がないものもありました。 数日前に知ったのですが、こうした偽情報の投稿を「インプレゾンビ」というのだそうです。
なぜ、救助を求める情報を投稿するかというと、そうした投稿は見た人が「誰かに知らせなければ」という衝動にかられ再投稿(リポスト)して拡散する行動に出ます。Twitterは経営主体が変わりXにリニューアルされて以来、収益配分が受けられる仕組みを導入しましたが、収益配分はどれだけのユーザーに見られたかという指標である「インプレッション」を元に行われます。インプレッションを稼ぐには中身はともかく、見る人を集められる投稿をしてとにかくアクセスを集めればいいのです。さらに善意で拡散してくれるなら、黙っていても成果が上がりますから、受け手が思わず拡散したくなるような投稿として救助要請を悪用する手口につながるという訳です。
つまり、インプレッションを目的とする内容のほとんどないゾンビのような投稿を「インプレゾンビ」という訳です。少し前に流行った自己顕示欲を満たすための炎上投稿とは少し異なる性格のものと言えるでしょう。
根本的な問題は、インターネット全般、いや、それ以上に社会全体に広がっている広告主体のビジネスモデルの限界が露わになってきているということでしょう。情報の発信者が限定されていた時代は、少数の発信者に対する規制で、完全とは言わないもののある程度弊害を除去できていましたが、インターネットで誰でも発信でき、発信した内容の真偽を確かめることができない現状では、真偽のわからない膨大な情報が我々に襲い掛かってくることになります。
インターネットに押されてマスメディアは退潮傾向ではあるものの、ファクトチェックはこれから重要な仕事になってくるはずです。しかし、ファクトチェックにもコストがかかり、そのコストは誰が負担するかという問題も出てきます。
そうなると、これからは、情報の受け手もある程度コストをかけないといい情報が得られない時代が来るかもしれません。と同時に何らかの変革がこれから起こるのではないかという予感も何となくするのです。
Comments